今まで、大気放射と雲、エアロゾルの変動に関する研究を行なってきました。現在の研究テーマは、特に放射収支と気候変動、雲と大気海洋相互作用などです。
さて、研究、研究者、大学に対する評価の嵐に巻き込まれるようになってから随分時間が経ちました。私たちは依然としてその嵐の中にいるようです。現在、私は国立大学で教育研究に従事していますので、その立場から評価について考えてみたいと思います。直近の1、2年を振り返っても、大学の認証評価、国立大学法人としての評価、部局の外部評価、学内での部局評価、部局内での個人評価等がありました。その他に、広い意味では科研費等競争的研究資金の審査、PEPSのような学術雑誌における論文の査読も評価の一環といえるかもしれません。さらに様々な受賞にかかわることもある種の評価と言えます。
目的によって評価の方法は異なります。混乱がみられますので、少し整理して考えてみたいと思います。まず、大学の認証評価は、7年に1回、高等教育機関としての「大学」がその要件を充たしているかどうかという評価です。いわば免許更新のようなものです。教員数は足りているか、適切な授業を行なっているかなど、基本的な要件を充たしているかどうかが問われます。
また、6年ごとの中期目標・中期計画に合わせて行なう国立大学法人の評価は、多額の税金を投入している国立大学をチェックする、いわば社会(納税者)への説明責任を果たすために行なっている意味合いが強いと思われます。中期目標・中期計画は文科省と相談しながら大学ごとに設定されますので、国(文科省)との契約であると言えます。すなわち契約に添った事業の進捗状況をチェックするということになります。
一方、外部評価は、一般に自分達の組織を点検し、改善するために行なわれるものです。評価委員は自分達の研究、教育を良く理解してもらえる見識のある学外の方にお願いします。評価される側が評価する人を選ぶのです。この先生に指摘されたら、それは改善しなければならないと納得できる必要があります。学内における個人評価も部局の外部評価と同じで、評価される側が納得しないと改善につながりません。数学の教員が地球物理学を専門としている部局長に評価されても、自分の研究など理解できない人に評価されたくないと思うのは当然でしょう。個人評価という意味では、研究能力や研究実積が強調されがちですが、大学の場合には教育や人間性も同じくらい重要視する必要があります。教育者としての実積、能力は、それを測るモノサシが難しく、これといった方法が確立されていないというのが現状です。授業のアンケートをとって善し悪しを決めれば良いというような単純なものではありません。さらに教授職の場合には管理運営能力も問われます。
学内での部局評価は、部局間で競わせて学内を活性化するという意味合いが強いと思われますが、部局間で連携協力し大学全体が一致団結して学外と競争しなければならない時代には、一歩間違うと逆効果になる可能性があります。
以上のほか、研究プロジェクトや競争的研究資金の審査は、多くの提案の中から限られた数の研究を選ぶために行なわれます。この種の評価は、採択率が高いと良い部分を評価する一方で、採択率が低い場合にはあら探しをすることになります。また最近では、たとえば科研費の場合、新規応募件数が10万件を超え、的確な審査が行なわれているかどうか心配という声が聞かれます。同様に、学術雑誌の論文の査読も、経験と見識のある研究者は忙しい場合が多いので、なかなか査読をしてくれず、適当な査読者をさがすのに苦労する場合も少なくありません。
このように、評価の目的や内容も様々ですが、研究者は評価される側にも評価する側にもなる機会が多いと思います。それによって多くの時間が費やされることになります。現在は研究も教育も成果をあげることが期待され、入学試験も多様な方法で実施すべきという議論が活発です。しかしながら、時間は有限で1日24時間、1年365(366)日は変りません。個々の評価の目的や意義を良く理解、整理して対応し、有効活用することが重要です。
PEPS大気水圏科学セクション編集委員/東北大学 大学院理学研究科 早坂 忠裕 |